1月は「白味噌雑煮」→
10月22日に、京都の3大祭りの一つである時代祭がありました。この華やかな時代行列は、明治の初め頃に、荒廃した京都を回復させるために行われたもので、当初は六行列でした。今は十八行列二千人を越える大時代絵巻が繰り広げられます。時代祭は、明治28年に生まれて以来、市民の祭りとして息づいてきました。そして、京都市民のひとりひとりが主役だそうです。
その主役の一人として、鎌倉時代城南流鏑馬列の大将に、おたべちゃんのお兄さんが選ばれました。おたべちゃんも、舞妓に出る前に童(わらべ)に選ばれ時代祭に出た事があったそうです。当日、武将の立派な衣装(狩衣)を身につけ、太刀や矢、弓を持って馬に乗ったおたべちゃんのお兄さんは、本当に大将になったようでした。幸い天候にも恵まれ、無事大役を果たす事が出来ました。
 時代祭におたべちゃんのお兄さんが出ると決まった時、横浜に嫁いだ私の姉に電話をしました。すると姉は、「めったにないことやし、京都にいくわ!」と言って当日、遠方より来てくれました。御所で鎌倉時代の順番がくるまで、一緒に待ってから出発する姿を見届けてくれました。

次の日、二人で母のお墓に行く事になりました。母の事を色々話ながら、お花を買いましたが、お線香とろうそくを忘れてきました。母の墓前にお花だけ供えて拝んだ後、清水さんから産年坂を通って、高台寺、祇園さんまで歩きました。お昼にお蕎麦でも食べることになりました。姉は迷う事なく、「私は、にしんそば」と言って注文し、美味しそうに食べました。東京にも「にしんそば」はあるのですが、何か京都の味と違うそうです。次に「錦市場」を歩く事になりました。京野菜の店には、もう赤い京人参が売っていました。二人して思わず、母のかやくご飯を思い出したのでした。母は、この赤い京人参の出る頃、かやくご飯をいっぱい炊いて、ご近所によく配っていました。いっぱい入ってる具のなかで、この京人参の甘さがひきたっていました。姉はホームページにのせる京人参の絵を描いてあげるといって、京人参を買いました。帰り道で、「横浜に住んでる方が長いけど、京都の味と母の味は忘れられへんなー」と言って横浜に帰って行きました。
←11月は「丹波栗と栗御飯」