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3月3日は女の子の節句、「ひな祭り」です。その起源は調べてみると色々の説がある事が、解かりました。その一つに平安時代だと言われているのは、「源氏物語」の中で、若紫が、人形で遊んでいた様子が書かれています。また、3月3日にひな祭りを行うのは、中国の「上巳の祓禊」(じょうしのはらいみそぎ)と言って、3月の上巳(じょうし)の日に、水辺で不詳を祓う為に宴会をするそうです。これが後の「曲水の宴」として日本では平安時代に盛んになったようです。他にも色んな説があるようです。
また、ひな飾りも地方によって違っています。内裏(だいり)様を向かって左は東京式、右は京都式と言われています。
私が幼少のころ、父が、四人姉妹の私達に七段飾りのひな人形を買ってくれました。その年から、母は従姉妹たちを呼んで、毎年ひな祭りをしてくれました。その時はいつもちらし寿司を作っていました。たらい程の大きなすし桶に、熱々のご飯をいれ、しゃもじでご飯を切るようにうちわでパタパタ扇ぎながら、手際よくすし酢を混ぜていきます。そこに前もって炊いておいた具を、これまた手際よく混ぜていくのを見るのが大好きでした。
母はひな祭りに限らずよくちらし寿司を作っていました。私が結婚してからも「バラずし出来てるえー」と電話がかかってくると、よくもらいに行きました。

おたべちゃんもちらし寿司が好きなので、一度母に作り方を聞いたことがありました。「酢の半分がお砂糖かな!それに塩をいれるのや!」と言うだけで詳しくは教えてくれませんでした。母の晩年は肝臓を患い、何年か入退院の繰り返しでした。最後の入院の前だったと思います。「バラずし、出来てるえー」と電話があり、早速もらいに行きました。最後の力を出し切ったのだと思います。あの時の母のおすしの味は、今も忘れられない味の一つになっています。いつもほどらいのかげんのように思いますが、何故かおいしいのです。本当に母の味って不思議なもので、どんな立派なシェフも、どんな立派な板前も、やはり母の味が基本になっているのではないしょうか!
あの時のあの味は、母の味として、これからはおたべちゃんに伝えていこうと思っています。
参考文献:「五節句の楽しみ」冷泉為人著(淡交社)
 
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