2月3日は「節分」です。大体節分というのは年に4回あって、季節の変わり目の前日を「節分」といいます。つまり、立春、立夏、立秋、立冬の前日の事です。その内の立春の前日だけを、特に「節分」というようになったそうです。昔は、「お年越し」で通っていました。お年越しには、豆まきもしますが、家族全員で年をとるという意味で、自分の年の数より一つ多い豆を頂きます。そして、京都では、壬生狂言で有名な壬生寺や、吉田神社にお参りし、厄除けの祈願をします。特に男の本厄の時は、壬生寺にお参りして、素焼きのほうらくに名前と年齢を書いて奉納します。するとこのほうらくは、4月21日からの壬生狂言の「ほうらく割り」でみんな割られ、厄をはらってくれるそうです。
「節分」と言えば、豆まきしたことや、子供たちで、家族全員の年の数より一つ多い豆の数を数えて半紙に包んだりした思い出があります。それよりもやっぱり「鬼」がいつ出てくるのか、ほんとうに恐かったです。まだ水洗便所のなかった時代です。寝る前にお手洗いに行く時は、お手伝いのお姉さんにいつもついて来てもらっていました。
豆まきの他に最近は、その年の恵方を向いて巻き寿司のまるかぶりをするのが有名なようですが、母はよくいなり寿司を作ってくれました。やっぱり商売しているからかも知れません。お稲荷さんの初午の日(伏見の稲荷神社の始まりの日)にちなんで、畑菜のからしあえも良く作っていました。何でもお使い姫の狐さんが、お揚げとからしがお好きやったと言われています。寒い日に、からしと青菜の取り合わせは、体にいいように思います。京都に伝わる年中行事と食のしきたりは、本当に理にかなっているのにいつも感心させられています。
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おたべちゃんもいなり寿司が大好きです。先日、久し振りに作ってみようと思い、すし揚げを買いに「森嘉」(※1)さんへ行きましたが、お休みでした。お揚げは何処にでも売っているので買って行こうかとも思いましたが、次の日に「森嘉」さんまで行って買ってつくりました。お揚さんは油ぬきしてから、少し甘いかなと思うくらいに炊きます。中にすしご飯をつめるために手でお揚げの中を開けますが、森嘉さんのお揚げはそれが丁度いい厚さなのです。ほのかに甘味のきいたお揚げとすしご飯がよくあい、それはそれはおいしいお稲荷さんが出来ました。おたべちゃんもおいしいと言って、いっぱい食べてくれました。
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