8月のお盆の行事は、まずいつお精霊さん(おしょらいさん)を、お迎えに行くことから始まります。我が家の場合は、たいていは8日か、9日位に六道さん(珍皇寺)へお参りに行きます。まず門前で高野槙を買い、戒名を唱えながらお迎えの鐘をゴーンと撞くと、鐘の音は冥土まで響いて、お精霊さんはこの世に戻って来られます。そしてその霊は、高野槙に宿って家にお帰りになるそうです。その昔、平安京の中に墓地を作ることの出来なかった平安時代には、死者は周囲の野に埋葬されました。東は鳥辺野(とりべの)、北は紫野、西は化野(あだしの)といわれる所です。野におられるご先祖さまを鳥辺野なら、その入り口近くにある、六道さんにお迎えにいくのです。紫野は千本通にあるえんま堂(引接寺:いんじょうじ)さんにお参りします。
こうして帰ってこられたお精霊さんに、13日はおむかえだんご、14日はおはぎ、15日は白むしのおこわ、16日は白玉の送り団子と決まっています。その家によって献立が違いますが、お精進のお膳も毎日お供えします。こいもや、おなす、ずいきに湯葉等、夏野菜の煮物などが多かったようですが、我が家では、お素麺という献立もありました。お盆の最後の16日、大文字のあかあかと燃える送り火で、お精霊さんは十万億土の向こうへ帰られて、京都の夏は終わりをつげるのです。
お盆にはお先祖さまが我が家に帰っておられるというのは、ほんまかも知れません。先日来より、無性にお素麺が食べたくなりました。ふと、毎日、毎日お素麺を食べていた実家のおじいちゃんの事を思い出していました。私が学生の頃に亡くなったそのおじいちゃんは、夏は甚平さん(じんべさん)にステテコ、暑い日はふんどしひとつで、門(かど)をはいたり、庭に水をやったりしていました。どんなに店が忙しくても、おじいちゃんの為に毎日、毎日、お素麺をつくっていた亡き母の事も思い出しました。今日も、お素麺を湯がきながら、お素麺の味は、毎日食べても飽きない味、そして昔も今も変わらない味がいかに大切なものかと思いました。
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参考文献:平凡社太陽別冊「京の歳時記今むかし」
京都の夏といえば祇園祭一色になります。山鉾の一つ、北観音山の山鉾町で生まれ育ち、南観音山の百足屋町に嫁いで来た私は、長年祇園祭りに携わって来ました。「美十」(旧おたべ)が借りている南観音山の町会所の一階が、新町店になっています。町会所とは、祇園祭りの神事や町内の会合、祇園囃子のお稽古等に使う町内の建物です。町会所の奥には、山鉾を収納している蔵もあります。お祭り以外の時期は二階を、おたべの体験道場としても使っています。いよいよ7月1日の吉符入りの日には、八坂神社から神主さんに来てもらい、祭りの無事をご祈祷して頂きます。この日から町会所の二階で祇園囃子の稽古が始まります。そして、12日の鉾立て、13日の曳き初めと行事が進み、16日の宵山、17日の祭りのハイライトである山鉾巡行の日を迎えるのです。
祇園祭りにとってもう一つ欠かせないものに、鱧料理があります。鱧は梅雨の雨をのんでいて、お祭りの頃油がのりだし、一番美味しくなるそうです。鉾町にあった京料理の仕出し屋をしていた私の実家は、お祭りはとても忙しくしていました。少し頑固だった父でしたが、大きな俎板の置かれた板場で、透きとうるような白い身の鱧を、大きな骨切り包丁で、シャリシャリと音をたてながら、骨切りしているのを見るのが大好きでした。山椒の実の入っている父の作る鱧寿司はこれまた、絶品でした。今は、二条室町にある堺万の鱧寿司が、美味しいです。鱧の焼きがべとつかず、さりとてぱさつかず、寿司めしとの調和が、絶妙だと思います。お祭りが近づいてくると、「今年は堺万さんに、鱧寿司を何本注文したらええのかなー」といつも思案します。そしてお客様には、この鱧寿司の他に、鱧おとしや、鱧の南蛮漬け等、私の手づくりの鱧料理を出しています。父が他界した後、仕出し業は廃業しましたが、祇園祭りがくる度に父の味を思い出します。やっぱりお祭りは、私のお料理の原点になっているような気がします。